「ピノキオ」感想~大人の胸にも刺さる教訓が詰まった冒険譚

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子供の頃から何度も観ていた作品を、今回記事を書くにあたり久しぶりに視聴しました。

ファンタジーな童話として面白いだけでなく、かなり教訓的な印象。次々と誘惑に惑わされるピノキオのことをいかにも子供らしいなぁと思ってみていたけど、よく考えたらこれらの誘惑は大人にとっても他人事ではないような。

美しい音楽とあまりにも純粋なピノキオ、心優しいゼペットさんに愛らしすぎるフィガロとクレオ。観終わった頃にはちょっと心がキレイになったような気持ちになれます。

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基本情報

原題は「Pinocchio」。1940年2月7日公開(日本では1952年5月17日)。

ディズニー長編アニメーション映画第2作目。第13回アカデミー賞作曲賞、歌曲賞(「星に願いを(When You Wish Upon a Star)」)を受賞。

監督はベン・シャープスティーン(「ダンボ」や数々の短編アニメーション映画監督、「ファンタジア」総監督)ハミルトン・ラスク(「シンデレラ」「ふしぎの国のアリス」「メリー・ポピンズ」アニメーションパート監督) 。

原作はカルロ・コッローディによる童話「ピノッキオの冒険」(Le Avventure di Pinocchio)。

あらすじ

<星に願いを>と共に、あの名作が永遠に。 独り暮らしのゼペットは、木で作ったあやつり人形にピノキオと名付け、いつか本当の子供になるようにと星に願いをかけます。するとその晩、妖精が現れてピノキオに命を授けます。そして、“良心”ジミニー・クリケットに従って、勇敢で正直で思いやりがあれば、本物の子供になれると告げるのです。ところが、ピノキオは正直ジョンの巧みな誘惑に乗せられてしまい…。

公式ブルーレイ&デジタル作品紹介ページ

登場人物

※ストーリーの核心には触れないようにしていますが、ネタバレになり得る情報が含まれています。ご注意ください。

ピノキオ

ゼペットさんが作った木製のあやつり人形。完成した夜、ブルー・フェアリーによって命を吹き込まれた。嘘をつくと鼻が伸びてしまうことでおなじみ。

ブルー・フェアリーによると、勇気を持ち、正直で思いやりがあれば本当の子どもになることができる。

こうして良心であるジミニーに従い良いことと悪い事の区別を学ぶはずが、純粋である意味心に正直すぎるあまり、あらゆる誘惑に引っかかり、嘘もついてしまう。

最後までハラハラしならが保護者の気持ちになって彼を見守る映画。序盤に扱いがわからなかった火を終盤で使いこなす知識の吸収力にも注目。

ジミニー・クリケット

ピノキオ誕生に居合わせた旅するコオロギ。この映画のストーリーテラーの役割を果たしている。

ブルー・フェアリーから「ピノキオの良心」に任命される。(昔「良心」を「両親」だと思い、パパとママの代わりをしているんだと思っていました)

面倒見がよく、言うことを聞かないピノキオをなんだかんだで最後まで見放さない。誘惑について教え、口笛を吹くと来てくれて(?)、最終的には海の中までもついてきてくれる。

ゼペットさん家の置物やおもちゃにも律儀に対応したり、オルゴールの人形のフリをしたりするシーンが好き。意外と女好きな一面も。

ゼペット

楽しいからくり時計やおもちゃを作るおじいさん。ペットは子猫のフィガロと金魚のクレオ。

ピノキオを完成させた晩にピノキオが本当の子どもになることを願い星に願うと、すぐにその願いが叶えられるほどに善良で心優しい人。

ピノキオに対してノリツッコミ(?)をしたり、クジラの中で餓死を覚悟した直後マグロの大群に大はしゃぎしたりと意外にも映画の面白い場面を多々担っている。

ブルー・フェアリー

人々に喜びを与えてきたゼペットの願いを叶え、ピノキオに命を与えた妖精(女神)。

本物の人間の動きを忠実にアニメーションとして描く手法は「白雪姫」と同じ。その美しさと衣装のきらめきの表現、幻想的な姿に見惚れてしまいます。

いつでも穏やかで優しい女性だからこそ、ピノキオの鼻がどんどん伸びているのに質問を続けていくシーンではちょっとハラハラする。一度しか助けないと言っていましたが、他にも手助けをしているようすでした。

そのほかの人達

  • フィガロ…ゼペットさんのペットの子猫。ウォルト・ディズニーのお気に入りで、後に主演の短編映画まで作られました。やんちゃないたずらっ子だけど、ゼペットさんのフォローもできる子。たまらなくかわいい。
  • クレオ…ゼペットさんのペットの金魚。こんなに色っぽい金魚は見たことがない。喜ぶとくるくる回り、撫でられるのが好きみたい。
  • ファウルフェロー(オネスト・ジョン)(正直ジョン)…名前とは裏腹に嘘ばかりつく小悪党の狐。ピノキオをみかけて悪事を思いつく。ディズニーの狐キャラクターが好きな私は、もちろん彼も大好き。
  • ギデオン…ファウルフェローの子分の猫。しゃべらないおとぼけキャラ。彼が作ったたばこの煙ドーナツがやけにおいしそうで憧れる。
  • ストロンボリ…人形劇団の団長。本作のヴィランズらしきキャラクターはたくさんいるけど、私の中では彼の一人勝ち。盗賊のような恐ろしさだけど、よく動く表情とぷるぷるしたボディからは目が離せない。
  • モンストロ…船を丸ごと飲み込むほどのサイズであり、怪物クジラと呼ばれている。その名前を聞くだけで魚たちはたちまち逃げる。体内は空洞?彼の迫力と巻き起こる水しぶきの表現は必見。
フィガロの短編アニメ映画シリーズ3作品のあらすじと感想です。「フィガロとクレオ」「子ねこのフィガロ」「フィガロとフランキー」。フィガロはもちろん、かわいい共演キャラクターたちにも注目です!

感想

※ストーリーの核心には触れないようにしていますが、ネタバレになり得る情報が含まれています。ご注意ください。

妥協なしの美しさ

この作品に限らないのですが、初期の作品は必ず隅から隅まで全く気を抜かないこだわりっぷりを感じます。本当に一瞬の隙もない。

たぶんどこで一時停止しても美しいシーンが切り取られるはずです。丁寧に妥協なく作っているからこそ長い間愛される作品になるのですね。

ブルー・フェアリーの服や星空の瞬き、モンストロが起こす波や水しぶきの迫力、セル画を重ねることで表現した奥行きのある町並みなど、ストーリーに夢中だった子供の頃には気が付かなかった魅力をたくさん発見できました。

それにしても、今回の視聴での一番の衝撃はストロンボリの動きの細かさかも。このおじさんこんなに面白かった…?昔は怖くて嫌いだったのに、不思議なものです。

短編映画との共通点

私はミッキーやドナルドたちが主演の短編映画が大好きなのですが、それらを思い出すようなシーンがいくつかあったような気がします。

たくさんの短編映画とこのピノキオは同年代に作られているしきっとスタッフも同じでしょうから、面白い動きや笑えるシーン、効果音などが同じだったりするのかも。これが宝探しのようで楽しかったです。

例えば侵入者におびえるゼペットさんとフィガロのシーンは「ミッキーとはらぺこオーム」(1938)、ファウルフェローがピノキオにでたらめな診断をするシーンでは「ドナルドの魔法使い」(1952)など。あれ?似てない?

ちなみにこの映画の名曲「星に願いを」を聞くと「ドナルドのジレンマ」(1947)でいい声でこの歌を歌うドナルドがすぐに頭に浮かびます。

ピノキオを観て笑ったり楽しい気分になれた方には是非、短編映画を観てみることをオススメします!

ピノキオを惑わせる誘惑の数々

良いことと悪いことについて学ぶピノキオの前に次々と訪れる誘惑の数々。大人になった今観ても結構ドキっとさせられます。

最初にファウルフェローからスターになれるとそそのかされるシーン。学校に行くというやるべきことを放り出して楽しい歌についていってしまうのですが、セリフとしては富や名声が得られると誘っていたりします。富や名声自体は別に悪いものではないですが、誘惑のセリフとしてはやや大人向け。

それに有名な嘘をついて鼻が伸びてしまうシーン。後ろめたかったり怒られたくない、自分を良く見せたいなどとついてしまう小さな嘘は大人でもついやってしまうもの。ブルー・フェアリーがいうように、嘘はピノキオの鼻のようにどんどん大きくなり隠しきれなくなるのです。

島の遊園地(プレジャーアイランド)への誘惑に至ってはでたらめな診断で病名を並べ立て不安を煽り判断力をなくすというなんとも恐ろしい手法。ピノキオはこの手法自体に引っかかったわけではなく連れて行かれてしまいましたが、現実の誘惑(というか詐欺?)に近くてなかなか怖いです。

子供の頃は知らない人についていったり親のいいつけを守らないと恐ろしい目にあうと理解していた作品なのに、また違った印象で楽しめました。

何よりこわい”島の遊園地”

子供の頃は集中力が1時間ももたなかったので映画の後半の記憶は前半に比べてあやふやになってくるのですが、それにしては割とよく覚えているのがこの”島の遊園地”(プレジャーアイランド)のシーン。

今観てもやっぱりこのシーンは楽しさと恐ろしさが絶妙に入り混じって魅力的でした。

行きの馬車ではしゃぐ子どもたちと御者をしている悪者の不敵な笑み。夜の暗い映像が続く中、光り輝く遊園地の装飾。このアンバランスさが絶妙です。そういえば行きの馬車を引いているのは元人間の子どもかなぁ。怖い。

仲良くなった悪ガキのランピーが徐々にロバに変えられていくシーンでは、耳がぴょこっと出てくるところなんかは楽しく観ていたのに、手が蹄に変わり「ママ!」と叫んだ後に完全に変化して我を忘れ暴れまわるところまでくるとこんなに恐かったかなというくらいの衝撃でした。

冷静に考えると悪ガキだけを対象にここまで手の混んだことをして人間をロバに変えるメリットというか、効率や利益が気になってきます。”島の遊園地”をそのままアトラクションにしてお金を取ったらどうだろう。…お客のモラルに問題がありそうですね。

あとがき

それにしてもピノキオが人間の子どもになるためにこんな苦労をしていたなんて、気がついたら人間の子どもを通り越して大人になっていたことが少し恥ずかしくなってきました。

しょっちゅう誘惑には負けてしまっている気がしますが、せめてできるだけ正直で優しくありたいものです。

最近の実写化ブームに乗りどうやらこの「ピノキオ」の実写化も進んでいるようなので、今後どうなっていくかは分かりませんが公開された際には必ず観たいと思います。