とあるシリーズファンによる「トイ・ストーリー4」感想

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賛否両論のレビューにドキドキしながらも、都合がついたのでやっと映画館で鑑賞してきました。その時にとったメモを元にした初鑑賞後ほやほやの感想です。
何回か観たら受ける印象も変わりそうだなと思いつつ、後に振り返るのも楽しそうなのでちょっと批判的な部分もとりあえずそのまま書いています。

ちなみに4を観に行くにあたり、1から3と短編・中編全て見直す程度には気合が入っています。

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基本情報

原題は「Toy Story 4」。2019年6月21日公開(日本では2019年7月12日)。

ピクサースタジオの長編アニメーション映画第21作目。トイ・ストーリーシリーズ第4作目で、前作は「トイ・ストーリー3」。前作と本作の間に3つの短編アニメと2つのテレビスペシャルアニメが公開されている。

監督はジョシュ・クーリー(「インサイド・ヘッド」脚本ほか、「ライリーの初デート?」(短編映画)監督ほか)。

あらすじ

“おもちゃにとって大切なことは子供のそばにいること”―― 新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズら仲間たちの前に現れたのは、彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。しかし、彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう。ボニーのためにフォーキーを探す冒険に出たウッディは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会いを果たす。そしてたどり着いたのは見たことのない新しい世界だった。最後にウッディが選んだ“驚くべき決断”とは…?

Disney Movie›トイ・ストーリー4›ストーリー

良かったところ

CGアニメの進化が止まらない

多分CGアニメの新作を観に行く度に「前より映像がキレイ」という感想を言うんだと思います。進化は止まらず、アニメっぽさとリアルさがどんどん溶け込んでいる感じ。
気に入っているのは最初の雨のシーン。アンティークショップのシャンデリアも綺麗だけど、こっちの方が好きかもしれないです。リアルなんだけど、大きな雨粒がどこかアニメっぽい。
あとは個人的に布小物などの雑貨が好きなのでボーの服の布目とかウッディのジーンズの生地の質感とかにも目が行きます。

笑いを取る新キャラクターたち

新キャラクターのフォーキーを試作して持ち帰ったら子供達が気に入って離さなかったためデザインが採用されたという制作秘話小耳に挟んだ気がするのですが、フォーキーは映画館でも子どもたちの心を掴んだ様子。あちこちで笑い声が上がっていました。ボーを探しながら連呼するシーンとか。
またダッキー&バニーの掛け合いでは大人の笑い声も。トイ・ストーリーシリーズの中でも館内で笑い声が上がる数は一番多かったかなという印象です。

懐かしい顔

1、2に登場し3にはいなかったボー・ピープの再登場は公開前からかなり有名でしたが、同じく3でいなくなっていたラジコンカーのRCがこの美しくなったCGで観られたのが地味に嬉しい。顔が可愛くなってたと思う。
あとはテレビスペシャルにしか登場しなかったコンバット・カールやバトルサウルス(こちらはランチボックスとして登場)がいたのも嬉しかったです。
ピクサーが初期に制作した短編「ティン・トイ」はかなり堂々とした登場っぷりにびっくり。たまたま一緒に本作を観に行く人にディズニーデラックスで公開されていた「ティン・トイ」を 教え込んでいた 紹介していたところだったので、「あのおもちゃがいたね!」と喜んでくれたのが何よりでした。
迷子のおもちゃたちの中にはまだまだ知った顔がいたかもしれませんね。

キャラクターピックアップ

ボー・ピープ

最近の強い女性ブームに乗って彼女も強い女性として描かれることは分かっていました。分かっていたんですが…。
ウッディたちと離れてからの9年間でたくましくなったのかと思いきや、昔からずっとこんな感じでしたよ?みたいな冒頭の回想がちょっと残念でした。以前の魅惑的で、どこか常に一歩引いているような、でも必ずウッディを支えてくれるようなボーも好きだったから。
また、ボーの活躍を際立たせるためだと思うのですが今回男性陣のダメダメっぷりがちょっとひどすぎる気がします。バズの中盤における思考停止状態もそのためなのかな?
本作ではずっと悩み傷ついているウッディを見ているだけに、ボーのウッディいじりにもハラハラしちゃうし。男勝り=強さではないと思うのですが。
スカートにもマントにもなる衣装は面白くて好き。

ギャビーギャビー

登場時は本作のヴィランきたーと思っていたけど、どんどん違う方向へ。ハーモニーとのお茶会を夢見てひとり練習する姿がいじらしかったです。
最終的にはウッディを説得する形になったので悪い子じゃなかったかのようになっていますが、無邪気なフォーキーを拉致してウッディの弱みを聞き出し説得の材料にしているあたりはゾッとするので、ヴィランのポテンシャルは十分にあると思います。
私は最後までボイスボックスが戻ってくることを期待していたので、ありのままのギャビーギャビーを愛してくれる子が現れる展開を予想したのですが、とうとう…。
4人の手下たちがどうなってしまったのかも気になります。どうか幸せにね。

フォーキー

捨てられていたあり合わせの材料でボニーが作ったおもちゃ。彼の登場によって4作目にしておもちゃの定義が広がりワクワクします。
本作は彼がメインのお話だと思っていましたが、あくまでウッディが自身をゴミだというフォーキーに対しておもちゃとはなんたるやを説くことでウッディが自分自身を見つめ直すというための役割でしたね。たぶん。
下でも書くと思うのですがもっとフォーキーがおもちゃとしての自覚を持つまでの部分を掘り下げて見てみたかったと思います。映画1作分のテーマにしては軽いなら、中編とかで良いので。
ウッディが度々フォーキーの目や手の位置を修正してあげたり手をつなごうとして掴み損ねたりするという2人の細かいやりとりが好きです。

ダッキー&バニー

予告で観た二人に若干の不安があったものの、本作で一番のびのびと自由に動いていた気がします。おじさんみたいな中身とふわふわなカラフルボディのギャップはもちろん、手が繋がった仕様やバニーの頭についたままのプラスチックフックがいい感じ。
ネタややりとりが少々くどくて、ハマる人はとことんハマりそう。そのうちスピンオフ短編とかも作られるんじゃないかな。
最初はひとりの子供のおもちゃになるためについて来ていたような気がするのですが、彼らはあのエンドで良かったんでしょうか?

気になったところ

物語がキャラクターを動かしている?

今までの作品ではあまり感じたことがなかったのですが、キャラクターが自由に動き回った結果こうなりました、ではなくこういう物語にしたいのでキャラクターにはこう動いてもらいました、というように見えるところがありました。
過去の作品から「このキャラクターはこういう性格でこう動くはずだ!」というイメージが自分の中で出来上がってしまい、そこから少しでもずれると違和感を感じるのかも?

原因として他に考えられるのは、予告でラストの予想ができてしまったばかりに全てがそのラストへの辻褄合わせに思えたのではないかということ。衝撃のラストみたいなことを触れ回りすぎて大方予想できてしまい、結果なんの衝撃も受けなかったし…。
これが嫌で本編を観に行くまでは公式HPのあらすじやキャラクター紹介はもちろん予告動画などもあまり目に入らないようにしたいのですが、なかなか難しいんですよね。

おもちゃが能動的?

まず素直に感想として「今までおもちゃは人間に対して受動的だったのにずいぶん本作では能動的なんだな」と思いました。
大勢の子供が遊んでいる最中の日中の屋外を割と堂々と移動したり、カーナビのフリをして人間を誘導したり、運転手がいる車のアクセルやブレーキを無理矢理操作したりなどなど。
ダッキーとバニーの妄想である人間のおばあちゃんへの直接攻撃もこのままじゃやりかねない感じさえありました。
私の中ではトイ・ストーリーにおいて基本的におもちゃは人がいないところで動き、人がいるところでは隠れ、人を操ろうとはしない印象があったんです。
でも、よくよく思い出すと1でウッディがママのふりをしてハンナを呼び部屋を退出させたり、シドを脅かすために堂々と目の前で動いて見せたり、2では無人の車を運転したり、3では子供達の頭上をこちらも白昼堂々飛んだりと今までも割とやりたい放題な気がするんですよね。
じゃあ本作で感じた違和感は?今までと何が違うんだろう。慣れの問題?限度の問題?慣れの問題だったら4を何回か観たらこの違和感は消えてくれるのでしょうか。このあたりは後々の自分に再度聞いてみたいところです。

掘り下げたい題材がありすぎる

色々もっと深く見たい知りたい問題。
上にも書きましたが、フォーキーのおもちゃとしての自我の芽生えももっとちゃんと観たかったし、デューク・カブーンが悲しい過去を乗り越えCMのようなジャンプを決めるまでの過程みたいなものももう少し観たかったです。
バズの行動にも一部始終違和感を感じたのですが、背景がしっかりと見えれば意外とすんなり受け入れられたかもしれないし。
一番しっかりと描かれていたウッディでさえ、フォーキーと過ごした時間とかギャビーギャビーとのやりとりとかボーが見せてくれた新しい世界とか色々あったけど、あの決断への決め手がなんだったのか未だに確信が持てないでいます。

ウッディの第二の人生

セカンドチャンスアンティーク

主な舞台となるアンティークショップの店名「セカンドチャンスアンティーク」がまさにテーマなのかなと。これはウッディがセカンドチャンスを掴む物語だったんだと理解しました。

過去作品と変わらず仲間のため、おもちゃのために奔走するウッディはかっこいい。でもあまりに身を削っているようで痛々しく、楽しい作品なのに少々悲しくなるところも。
なにより(最後の決断より)ショックだったのはボイスボックスの喪失。これはまさに自分がずっと大事にしてきたおもちゃを壊されたかのような衝撃でした。

中盤、なんなら終盤までできればウッディには何一つ変わって欲しくないと思っていました。でもフォーキーを猫から助けようとしてボーや羊たちを危険に晒してしまうシーンなどはやはりウッディらしくなく、今のままではいけない、彼は次のステージに進むんだなとなんとか納得。
アンディはウッディ離れしたというのに私は情けなくも全くウッディ離れしていなかったことに気がつきました。

おもちゃという役割離れ

今まではアンディとウッディの物語、本作はウッディの物語。
なので今までの人あってのおもちゃというスタンスから、本作はおもちゃはおもちゃというスタンスになっているように感じます。

2でウッディがジェシーに「エミリーとあと1日だけ遊べるならなんだってするだろう?」みたいなことをいうシーンがありました。
だからおもちゃ全部がそうでなくてもウッディに関しては誰か一人のおもちゃとして1日でも多く遊んでもらうことが幸せなのだと思っていたけど。
アンディと離れ、一番のお気に入りではなくなり、ウッディにも色々と思うところがあったのでしょう。

最近流行りの(?)役割を飛び出す主人公たち。他人に(または運命に)決められた選択ではなく自分が選択する道を行くというテーマは大変良いと思います。でもどうしてもどこか無責任に感じてしまったり今まで大切にしていたはずのことが嘘だったように思えてしまう部分があり、もやもやが残ることが多いのでこのテーマ自体が今のところ正直ちょっと苦手です。

あとがき

めちゃ長くなりました。言いたいことがまとまらないけどどこを削っていいかも分からずとりあえず言いたいことを言っています。後々冷静に修正を加えることになると思いますが、とりあえずこのままで。

本作には情報量が多すぎてまだまだ私にはちゃんと理解して飲み込めてない部分があると感じるので、また次に観る機会を楽しみにしていたいと思います。